熊野那智大社は那智の大滝を見下ろす山の斜面に鎮座しています。社殿は、切妻妻入の構造で、妻正面にひさしをつけた古代からの「権現造」です。
創建は仁徳天皇の時代317年で、平重盛が造営奉行に任ぜられた時、装いを改めました。しかし、織田信長の焼き討ちに遭い、そののち豊臣秀吉によって再興されました。江戸時代には将軍吉宗の尽力で大改修も行われています。
独立した第1殿から第5殿、第6殿から第12殿は一括した相殿としています。
殿内は内陣と外陣とに区切られ、内陣は床が一段高くあがり、各殿正面にはそれぞれ鈴門が設けられています。
第1殿は鎮守社で大己貴神、第2殿には素盞鳴尊、第3殿には伊弉諾尊、第4殿には伊弉冉尊、第5殿には天照大神が祀られ、それぞれの神は千手観音、阿弥陀如来、薬師如来、十一面観音とも称されています。
社前にある枝垂れ桜のそばに鳥石と呼ばれる石があり、神武天皇を大和に道案内をした八咫烏が、その任を終えて帰りこの石に姿を消したといい伝えられています。