ご神体のゴトビキ岩が大空に向かってそそり立つ神倉神社。
この地方ではヒキガエルのことをゴトビキと呼んでいます。このゴトビキ岩は「日本書紀」の神武東征神話にでてくる天磐盾のこととされています。
自然石を組み合わせて積み重ねた「鎌倉積み」の急な石段は、500段近くあり、源頼朝が寄進したものと伝えられています。
神倉山で、毎年2月6日に行われる御燈祭には暗がりの中、松明を手にした白装束の上り子らがこの急な石段を、我先にと一気に駆け下ります。
神倉神社は、熊野速玉大社の元宮とされ、熊野の神が諸国遍歴ののち阿須賀神社に鎮座する前に降臨したところといわれています。御祭神は高倉下命と天照大御神で、山上の巨石ゴトビキ岩を神の依代と仰ぐ原始信仰の形を残しています。
「熊野山略記」には、神倉神社から現在の熊野速玉大社の地に「里宮」として新しく神々を祀ったため、新宮と呼ばれたと記しています。