勝浦湾に広がる熊野灘はかつて「補陀落の海」と呼ばれていました。熊野には、海の彼方に理想郷があるという「常世信仰」があり、それが観音信仰と結びついて渡海が行われるようになったと考えられています。南海の彼方に観音の浄土「補陀落山」がある、その浄土を目指して何人もの人々が船出していったと言う。
男女を問わずすべての者の願を聞き、救いの手を差し伸べてくれるという観音菩薩の住むところが補陀落山でした。
補陀落渡海の出発地であった補陀落山寺には、苦しみを逃れて渡海に望みを託そうとする人々が全国から集まったといわれています。
最も古い渡海は868年、補陀落山寺の僧、慶竜上人によるもので、渡海は18世紀初頭まで続けられました。
一ヶ月分の食料を積み、外に出られないように扉を釘付けにした小さな船に閉じ込められ、伴舟にひかれ、経文を唱えながら補陀落をめざして海へ出て行く。
生きて再び帰ることのない旅、補陀落渡海。太平洋の彼方に人々は浄土をもとめたのです。