金剛三昧院は、当初禅定院と呼ばれていましたが、1223年に「尼将軍」と呼ばれた女性が、将軍であった夫と子供の菩提を弔うために寄進建立して、現在の名に改められました。
高野山の霊場化が、有力な貴族や武家が山上の祈願所の寄進・建立によっても促進されたことを明確に示す代表的な事例です。
金剛三昧院多宝塔は、多宝塔発祥の地である高野山でも最も古いものです。
インドのストゥーパの特徴を取り入れ、初期の多宝塔の特色を部分的に遺した建築意匠的にも優れたもので、日本の中世多宝塔の代表例として貴重なものです。
金剛三昧院経蔵は、多宝塔と同じ頃創建され、日本の伝統的な倉庫の形式、「校倉造」で、同じ時期に作られた例が少なく貴重な経蔵とされています。
高野山の鎮守、四所明神を祀り鎮守とする神仏習合の典型的な形の金剛三昧院四所明神本殿、参詣者を迎え宿泊施設としての金剛三昧院客殿など、神仏への祈願と、幅広く参詣者を受け入れる霊場の姿があります。