早朝など、霧に覆われた奥の院は、安楽地を願って石碑を建てた人々の願い、生前の愛憎を越え、敵も味方もなく包み込んで浄化する霊地高野山のいとなみをいやがおうにも感じさせられます。
越前松平家石廟。この石廟は家康の建立によると伝えられています。向かって左は、秀康の生母、右が秀康のものです。
徳川家康の子、秀康は越前大守となり松平姓を名乗りました。周囲の壁には、死者を極楽に迎える二十五菩薩の姿が彫刻されています。
崇源院供養塔。
徳川二代将軍秀忠の次男、駿河大納言忠長が母堂追善のために建立したもので、高さ6.6メートル、台石の大きさは八畳敷。
完成までに3年を要した高野山の石碑の中で最も高く大きいもので、「一番石」と呼ばれています。
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御廟の台地を玉川の清流が巡って流れています。
清流の中に建てられている卒塔婆は流産や水死の精霊をこの水で清めるために建てられています。
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