重要な儀式や法会が行われる御持仏の前の大広間。鶴の群れが画かれたふすま絵は、江戸時代の初期に活躍した雲谷等顔の弟子、斉藤等室の筆によるものと思われます。
柳の間は、豊臣秀吉に追放された秀次が、木食応其上人の助命願いにもかかわらず自刃を命ぜられた、その自刃の間として有名です。
上壇の間は、天皇・上皇が登山された時、応接間として当てられたところで、いまでは重要な儀式の時に使われています。
壁は総金箔押しで、折り上げ式格天井の書院造りの様式です。
2,340平方メートルの我が国最大の石庭、蟠龍庭。雲海に雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されています。龍には四国産の青い花崗岩140個、雲海には京都の白い砂が使われています。
新別殿は、1984年に弘法大師御入定1150年御遠忌大法会を行うため、記念事業の一環として新設されました。本山の荘厳さにあわせた入母屋造の169畳の大広間です。