高野山。その歴史はおよそ1200年以前にさかのぼります。
この地域一帯の地主神として、古くから丹生都比売明神と狩場明神が崇められていました。やがて空海によって真言密教の山岳修禅道場として開かれ、都そして全国に広まり高野山真言宗発祥以来の聖地として知られるようになりました。
高野山は、標高約800mの山上盆地にあり、「八葉蓮華」と呼ばれる一千メートル級の峰々に取り囲まれて、俗界から隔絶された別天地を形成しています。
空海創建以来の壇上伽藍、高野山真言宗総本山金剛峯寺を中心として117の寺院と町屋が建ち並ぶ山上宗教都市高野山。そこは弘法大師の遺徳を慕う人々や、先祖の供養のために訪れる人々など、宗派や国籍にかかわりなく数多くの人々が四季を通して訪れ、1200年の伝統に裏打ちされた日本を代表する山岳霊場となっています。
空海が真言密教の理想の修禅道場、人々を救済する祈りの道場を求めて嵯峨天皇から高野の地を賜わったのは平安時代初期の816年のことです。
空海は高野山に登り、まず七里結界の法を修め、現在の大塔の地を中心伽藍地鎮の式をおこない、地主神の丹生都比売明神と狩場高野明神を祀る鎮守社をはじめ大塔、金堂などの建立にとりかかりました。しかし、伽藍の完成を待たずに、835年、自らがその地と定めた奥の院に入定しました。空海62歳でした。
空海の入定ののち、事業は弟子たちに引き継がれ、真言密教の思想を反映した日本で初めての伽藍の造営や教団組織の編成が進められました。
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神のいます山は、仏の浄土、真言密教の中心である大日如来の蜜厳浄土国士、弥勒菩薩、阿弥陀如来の浄土であるという。
聖なる山々は神の居ます所であり、人々は山の神を祀っていました。また、山は祖先の霊が集まるところであり、高野山奥の院には数え切れない供養塔が建立されていて、人々は今も先祖供養のために高野山を訪れます。
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