大門王子、その名の通りここにはかつて熊野本宮大社の大鳥居があったといわれています。初代紀州藩主、徳川頼宣が熊野道を整備したときには、既に大鳥居がなくなり跡地だけになっていたため、紀州藩は緑泥片岩の石碑を建てました。今では朱塗りの社殿が復元されています。
古道はここから尾根づたいに十丈王子へと続きます。
十丈王子、この王子社は明治末期の神社合併で、大塔村下川の春日神社に移されました。 この十丈王子付近には、江戸時代に4、5軒の茶屋があったということですが、今は跡地を残すのみです。
峠をすぎると視界が開け、熊野の雄大な山並みが迫ってきます。
小判地蔵をへて、悪四郎伝説にちなんだ悪四郎山の山腹を横切ると上田和茶屋跡があります。この地には、月が三つに見えるという「三体月」の伝説が残っています。
近露の里に一人の修験者が訪れ、「十一月二十三日の月が出たとき、高尾山の頂で神変不思議な法力を得た。その日時に月の出を拝むがよい、月が三体現れるであろう」と言って村を立ち去った。里人が疑心暗鬼で月の出を待つと、東の山の上から一つの月に続いて2つの月が現れたと言うのです。
毎年旧暦のこの日には、三体月を見ようとするイベントが催されています。